祖父の代から伝わる山を使った地域活性化
子供の頃から年に1回程度は祖父と父親に連れられて、所有山を見て廻ったことを今でも良く覚えています。祖父と一緒に特定の木の円周を測り、木の皮をナタで削って日付と名前を書き入れることで、成長の記録を木々に残していきます。当時、山には境界杭が無いので谷や樹種の違いが所有山との境界線であることを説明してくれました。
現在の所有山は祖父が地元の若い衆達と雑木を伐採し山中にある炭小屋で寝泊まりしながら炭作りをし、毎日のように杉や桧の苗木を背に背負って運び、一本ずつ手で植林をした山です。
祖父が起業した製材工場は創業70年で現在で3代目になる会社です。
起業当初の製材工場は景気が良く、木を挽けば売れる時代でもありました。祖父は製材事業で得た利益を山を購入することにあててきました。当時、祖父にとっては町で宅地を購入するより、山へ投資するほうがより魅力的だったようです。なぜなら、山に木々を植え続けることが、この先の未来、子孫繁栄に繋がると考えたからだと思います。
かつて、大叔父からこんなことを言われたことがあります。
「お祖父さんがお前達の為に植えて育ててきた山の木は、お前達の代になったら切れるから、すごいことになるぞ。そして木を切ったら、また植林をして次々世代の為に山作りをしたらいい」と。
祖父のおかげで地元の亀山市加太地区には所有山がたくさんあります。
ただ、ほとんどの山で未だに木を切ることができていない状態です。
時代は流れ、現在では木の代わりに鉄などの異素材が使用されたり、地域材の代わりに海外から輸入された木や集成材などの工業製品が流通し始めたことにより、地域材の価値が下がっています。
価値が下がれば山は整備されなくなり、木々の品質は低下していきます。
品質が低下すれば、価値が上がらないという悪循環が始まっています。価値が上がらないから山から木々を搬出する際には、極力手間がかからないように既に林道が整備されている山での施業が中心となります。全国各地にも共通していることですが、亀山市加太地区のような中山間部では林道が整備されていない山が多くあります。
また、山を細かく個人で所有しているケースが多く、林道整備にも時間がかかっており、なかなか整備が進んでいない状況にあります。
実は、祖父が投資してきた山も例外ではなく、所有山の多くは林道が整備されていません。
当時は人力と架線を使って木を搬出することが基本だったので、重機が通ることができる林道を必要としなかったかららです。現在、所有山で未だに木が切れていないのは、こういったことが原因となっています。
山という財産を守りたい。
数年前、久しぶりに父親と所有山の状況を確認しに行ったことがありました。ある一定の時期から整備されなくなった木々ですが、大きく成長しいつでも切れる状態にありました。一方で、大雨によって谷がずれ、木々が倒れている惨状を目の当たりにしました。このまま放置しておけば倒れた木々により谷がダム化し、大雨が降ると土石流などの自然災害を引き起こす危険性があります。このままでは、祖父が子孫のためを想って育てた山の木が、財産になるどころか災害を起こす要因になってしまい、祖父の想いが居た堪れなくなってしまいます。
せめて、孫である私たちの世代でこういった中山間部の問題を解決できる道筋をつけなければならない、そう強く感じました。
かぶとの森テラスの役割
所有山へはかぶとの森テラスから繋がる林道を通って行くことができます。
この施設でなら、アウトドアやフィットネスを通じて、広く多くの人々にこの地域の山の現状を知ってもらうことができます。そして、少しでも木を使うことや地域の山を整備する大切さに気付いてもらうことができます。
祖父から受け継いだ大切な山という財産を活用し、人々に愛される魅力的な施設をつくることでお客様が増え、地域材普及促進や地域活性化にもつながって行くことでしょう。
また、この施設で得た収益の一部を山の整備にあてることで、施設を利用していただく皆様が地域の山の整備に間接的に関わって頂けるようになります。
近い将来、祖父が植え、父親が育てた地元の山の木を活用することで、次世代の子供たちに健全な山の環境をつくる道筋をつけてバトンタッチしたいと思います。
かぶとの森テラス代表
坂 成哉
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